◆新しいおっぱいづくり⑧荒れている話
手術から3日:あれ放題>
私がいない生活は、いちばん長女に影響した。
毎夕、スマホの画面を通して話はするがそれだけではコミュニケーションが不十分だった。
「今日何したの?」と聞くと
「きょうね~タエちゃんふんだ」と返事があった。
タエちゃんふんだ?
耳を疑った。
タエちゃんとは、お人形ではなく本当の赤ちゃん。切迫早産の危機を乗り越え、全身全霊命懸けで産み出した次女(0歳)の事である。
産まれてすぐの頃のタエちゃんと長女
荒れている。
電話の後ろからは、アンパンマンオモチャのメロディーとタエちゃんの鳴き声、ソファーでジャンプをする長女を制する夫の声が聞こえた。泣く0歳、飛ぶ3歳(そのうちソファから落ちてこっちも泣くのだろう)、疲れた夫33歳、どう対処して良いのか分からないばあば(年齢非公開)が見えた。
荒れている。
荒れているのは自宅だけではなかった。
ミニマムタイムでロキソニンを飲み続けた私の胃も荒れてきていた。胃の不快感があってあまり食欲がない。
退院予定日には台風が接近するとの予報があり、天気も大荒れが予想されていた。
早く帰りたいのはやまやまだが、このまま帰宅し、元気あふれる長女の激突や次女の悪気のない頭突きを胸にくらうことを考えるだけで失神しそうだった。どこかで”はがねの鎧”が買えないものかと、私はかつてハマったドラクエを思い出していた。
手術から4日>
痛みのピークは3日間と主治医に言われていたが、結果的にそれは正解だった。私は4日目からは痛み止めを飲まなくてもやり過ごせるようになっていた。もちろん、寝返りとか諸々の動作は胸に響くし痛いのは痛いわけだけれど。
そしてこの日、ドレーンを抜くこととなった。順調に廃液が減ってきたのだ。処置してくださるのは主治医ではなく若い男の先生。ドレーンが取れれば退院できる!晴れて(荒れた)我が家に帰れるわけだ。
しかし、事態はそう簡単には進まなかった。
思いがけず、ドレーンがなかなか抜けないのだ。物理的にいくら強く引っ張っても抜けないのだ。ドレーンが抜けないって私の皮膚の下で何かトラブルが起こっているのか?引っ張られると痛いし、引っ張るのを止めるとそれはそれでまた痛い。行くも戻るも地獄。
「何かが引っ掛かっているみたい…」
との不吉な言葉と、とれかけのドレーンを残して処置は一時中断され、主治医を待つこととなった。若い男性医師が力業で引っ張っても抜けぬドレーンを女性の主治医がどのように抜くのだろうか。
大きなカブのようにだけはなりたくない。
次回:数時間後に病室に来てくれた主治医は笑顔で「引っ張って抜いちゃいますね」と言った。
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