わたしの、若年性乳がんとの向き合い方

がんが見つかって、絶望的なショックを受ける方、沢山いらっしゃると思います。時間の経過とともに「がんになって良かった!!」と言われる方もいるかも知れません。

私はがんが見つかった意味とか、あまり見いだせずに、将来を見据えた治療を受け入れたり、辞退したりと選択してきました。

がんは病気なので、「がんになって良かった~!!」という晴れ晴れするような気持ちはあまりありませんが、乳がんにならなかったら、いったい今何をしているんだろうと思ってしまいます。

はてなを付けた猫の写真

乳がん告知の時

私は1981年7月生まれ。20代は朝も夜も平日も祝日も働きまくる日々でした。そんな時(29歳か30歳頃)に右胸のシコリに気が付きました。まさか、と思いつつも念のために検査を受けてみても「経過観察」。半年後にもう一度検査をしましょうと言われておしまい。ほら、やっぱりなんでもない!こんな感じでしばらく検査を繰り返していました。しかしながら、31歳で結婚し、県外に転居して検査を受けたら乳がん見つかったのです。

がっかりした女性の画像
これまでずっと病院で診てもらってたのに・・なぜ?

「あ~やっぱり乳がんだね」

幸せの絶頂からどん底に落っこちるって言葉がまさにぴったり。いつか子供を産んで母親になりたいと思っていたので、今後の妊娠出産についても聞いてみたら…。

「ダメダメ!絶対ダメ!」

またその理由が。

「奇形児ができる」と^^;

この時、医師は手術の後のホルモン療法を考えていて「ホルモン療法の期間中は妊娠は絶対ダメ!」と言う意味だったと今ならば理解できますが、頭ごなしな言い方に、ある意味乳がん告知よりもショックを受けました。

乳がんの告知を受けてからは、選択の連続。どこの病院で手術を受けるのか?全摘か温存か?同時再建するかしないか?妊孕性(にんようせい)の温存をするかしないか?手術後の治療をどうするか?

分かれ道の写真

分からない事は主治医に聞き、夫とも何度もよく相談して選択していきました。

私が手術を受けた頃は、若年性乳がんについての情報があまりありませんでした。仲間もいませんでした。自分に合う下着も見つかりませんでした。

下着屋Clove立上げの時

そこで下着屋Cloveを立ち上げ、誰かの役に立てるかも?と思い自分の経験をブログ「31歳 結婚3カ月で乳がんの私がマミーと呼ばれる日」にまとめて公表する事にしました。
そして、若年性乳がん仲間、メーカー、クラウドファンディング支援者など多くの方にご協力いただき、乳がん下着Kimihug®(キミハグ)を開発!
現在は、若くしてがんが見つかってしまった方をサポートする団体”若年性がんサポートグループAYACan!!”を立ち上げて活動をしています。

Kimihug®くわしくはこちらから▶︎

結婚3カ月で乳がんの私がマミーと呼ばれる日

治療はひとそれぞれなので、「こんな人もいるんだ~」くらいに読んでいただければ幸いです。
病気はめんどくさくて不自由で痛い事が多い(手術、治療、そして医療保険に入りにくいとか)と感じていますが、結果的には、乳がんになったからこそ出会えた人や感動があったと今は思います。

Blog『31歳結婚3カ月で乳がんの私たがマミーと呼ばれる日』
告知を受けた時から母親になるまでの気持ちを素直に全力で文章にしています。
他にも、2018年6月からスタートした乳房再建について、がんや下着の情報について、日々思う事を綴っております。
私の乳がん経験がみなさんにとって何かの参考になれば幸いです。